2012年1月18日水曜日

岡野工業(墨田区:未上場)岡野雅行代表社員の起業業績と人気

弁理士 佐成 重範 Google検索 SANARI PATENT
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上場会社の現況は、毎四半期の業績報告始めマスコミ報道で刻々知らされるが、ここ数年来の世界経済大変動を堂々と乗り切り、社会経済・産業に極めて有用なイノベーションを創出している未上場の岡野工業(墨田区)のような企業については、間欠的にしか知る機会がない。なお上記括弧書を付したのは、同名会社が多いので、混同に要注意のためである。
岡野工業という社名以上に高名になっており、かつ、長年高名であり続けているのが同社岡野雅行代表社員で、講演業界やハウツー出版社、経済誌が、中小企業ないし中小企業経営者の理想型として、華々しく紹介してきた。果たして現況は?と関心が持たれるが、東洋経済の「ニッポンの工場」がその現況をレポし、相変わらずの健在・活況ぶりを、慶賀することとなった。
上記レポの内容(SANARI PATENT要約)は、
1. 「痛くない注射針」のうみの親、職人・岡野雅行が日本にエール!(SANARI PATENT注: このレポでは言及されていないが、10年前に知財立国の掛け声で内閣知財戦略本部が発足した初回の会議で、「痛くない注射針」に、当時の小泉総理大臣が議長として、いたく感心したものである)。
2. 岡野雅行氏の人生で最大の転機になったのは、金型製造からプレス業にまで業務を拡げたことだ。金型の販売先であるプレス業者は利益を得たが、金型業者は単価を叩かれて利益が出ない。そこでプレス業に手を拡げたが、最初に入った仕事はミツミ電機からの注文で、赤字が出た。そこで自動機を開発し、コスト引下げで利益を得ると共に、ミツミ電機が台湾に生産を移すときには、自動機を販売し、再度利益を得た。
3. プレス機と金型には相性があって、別々に買うとメーカーはその調整に時間を取られる。従って、岡野工業から、多少高価でもセットで買うメーカーが増えた。
佐成重範弁理士所見→岡野雅行氏は1933年生。既に79歳だが、向島更生国民学校(小学校)卒のみで中学は中退、父親の金型業の手伝いから出発し、40歳で独り立ちして創意工夫を重ねて今日に至った。講演・著作はその創意体験談として、机上論でない実体験価値に富んでいる。
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