2014年6月20日金曜日

東大医卒の異色・養老孟司先生が、慶大医卒の異色・近藤 誠先生説を評論


弁理士 佐成重範 Google検索 SANARI PATENT(企業の知財戦略研究)
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新潮新書の新刊・養老孟司先生の「『自分』の壁」(2014-06-20)第8章には「近藤さんの考えをまとめると」として先ず、次のように要約している。
「がんには、治療によって治せるものもあるが、どうやっても無駄なものもある。また、放っておいて問題ないものもある。転移しないものや、自然に消える『がんもどき』は放っておいても問題ない。無駄なものや、放っておいても問題ないものに対して、手術したり、抗がん剤を投与したりしても、患者さんの負担にしかならないし、逆に、命を縮めることだってある。」
養老孟司先生は、医療史における「待機的医療」と「積極的医療」の二つの潮流を認識し、「上記・近藤 誠先生の考え方は、目新しいもののように受け止められていますが、そうでもありません」として、「近藤 誠先生の考え方は伝統的な待機的治療の延長線上にある」と認識し、「待機的医療に対する関心が高まり、共感する人が増えているのには、実際のケースなどを見て、積極的な医療について懐疑的に感じた経験のある人が増えているからかも知れません」と述べている。
かくして養老孟司先生の論評は、「『がんと闘うな』に代表される待機的医療は、基本的には正しい。しかし、一方で欠けている視点もある。たしかに、患者自身にとっては、『何もしない』がベターな選択肢でありうるでしょう。しかし、身内の人達は、愛する人が重病のときに、『何もしない』でいられるかどうか。これは案外重い問題です」と、流石に養老孟司先生だけあって、他の近藤 誠先生説批判にない視点を提起している。
しかし佐成重範弁理士は、更に当面の課題提起として、諸病変に対する諸学会の診療ガイドライン最新改定が、高齢者に対する特記を加え、自然余命と「生活の質(QOL)」に対する配慮を強調していることが、養老孟司先生の、ご自身にについての次の記述と符号していることに、一層の注意を喚起したい、すなわち、「私は50代の頃(今から20年前)、肺に影が見つかったことがありました。結果的にはがんではなかったのですが、もしもそれが肺がんだったならば、どうしたろうと想像することがあります。ひょっとしたら放っておいたかも知れませんが、若かったから、状態によっては手術を選択したでしょう。ただし、70歳を過ぎた今ならば放っておくでしょう。同じ人間に同じ病気が現れたとしても、その人の年齢や、置かれた状況により判断は変わってきます」と述べ、更に敷延して、「私自信の現在の方針としては、自分の体の中から出てくる病気に対しては、待機的医療を先ず考えよう。生活習慣病を考えれば分かり易いが」と説明し、更に「だからといって、『がんになっても何もしない』と言い切ってしまうのは乱暴な話で、明らかに治療が効果を示すがんもあることは、近藤さんも認めています」と明記し、個々の病態と患者の高齢に対する配意を強調していることは、積極治療派諸先生説と近藤 誠先生説とをアウフヘーベンする卓見と、SANARI PATENTは解する。
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