2012年7月16日月曜日

元サムスン電子常務・吉川良三氏(日立製作所出身)のサムスン解説

IMF危機から15年間、サムスン成長「圧倒的強さ」の理由を語る

弁理士 佐成 重範 Google検索 SANARI PATENT

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角川から、吉川良三氏著「サムスンの決定は、なぜ世界一速いのか」第8版を贈られた。吉川良三氏(72才)は、1964年に学卒後、日立製作所に入社し、ソフトウェア開発に従事、コンピュータによる設計・製造(CAD/CAM)技術を開発、1989年に現JFEHDのエレクトロニクス本部開発部長、1994年(54才)に、サムスン電子常務に就任。1997年の「アジア通貨危機」に先立つ転身だから、サムスン急成長の現代史を、その内部で考察する比類ない地位にあった人物である。吉川氏は冒頭に次のように述べている(SANARI PATENT要約)。

「1997年(平成9年)」に起きたアジア通貨危機は、韓国では「IMF危機」と呼ばれた。当時、経済が悪化の一途を辿った韓国では、IMFに援助を要請し、結果的には、その経済介入によって財閥解体などを行う事態に陥り、「朝鮮戦争以来、最大の国難」と認識した。そして、この危機に直面した韓国は、日本経済への追随一辺倒を止めて、日本企業を徹底的に研究しつつ、日本企業とは異なる道を歩み始めた。」「サムスンなど韓国の企業が、なぜ日本追随を止めたか、日本の企業は産業構造のグローバル化に全く対応できていないことを知ったからである。「IMF危機」当時の日本の企業は、現在にも増して、新興国を単なる生産拠点としてしか捉えていない状況であった、そういうやり方は、グローバル時代に適さないということに韓国の企業は気付いたのである。」

佐成重範弁理士所見→上記書の「グローバル戦はトーナメント戦」、「崩れかけた橋を渡ってから、それを壊す」、「「ものづくりのグローバル化とデジタル化」、「アブダビ原油とザックJAPAN」、「技術よりもアプリケーションを」、「水平分業による多品種少量生産」、「日本品質と高コスト構造」、「公差と過剰品質」、「事業売却とコストカット」、「モノの世界とツクリの世界」、「日本人の3つの驕り」、「消費の本質」など、それぞれ別途、考察したい。

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